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好きな写真家がいます。
その方は日本の風景写真家の第一人者で、二十歳の頃その方の写真集には
大変感銘を受け、こんな風に絵が描けたらと心を踊らせたものです。
デジカメや携帯写真が発達した今、だれもが写真を手軽に撮ることができます。
楽しい瞬間、
お気に入りの小物、
素敵な風景、
記録された瞬間は後にその場に居なかった人へその場の情景を伝える具体的な役割を
果たし。
又更に数年後、撮った本人の記憶を呼び起こす助けとなります。
それは素晴らしいことです。
自分もその技術の恩恵に授かってたくさんの写真を撮ります。
特に仕事の取材時、限られた時間で資料にするべく撮る写真は現在のデジカメの
機能なしには得る事の出来ないショットが数多く存在します。
そういった記録的な要素で撮られる写真と違って本当に素晴らしいのは、
本物のカメラマンが撮った一枚の写真は一枚の『絵』だということです。
カメラを構える、シャッターを切る。
その撮りたいと思った瞬間を記録に残すのは写真です。
ですが、ある一瞬を撮りたい、そのためには何日も待ったり、時には場所を替え、
一瞬をあきらめ、それでも撮りたい絵を求める。
そして、その求める一枚の為にレンズを選び、画角を決め露出を定め、フレームを切り取る。
こうして初めて撮れる一枚。
これはまさに『絵』です。
例えばその時間、たまたま同じ場所にいることができて、
同じ場所から、同じ向きを同じように撮る人がいても、同じ一枚には決してならないでしょう。
そこに、撮る人の意思、思いが介在するからこそ、
写真はある瞬間から、『絵』になるのだと思います。
自分はその写真家の絵から多くのことを学んだのではないか?
20年経って改めて気付きました。